2019年08月22日に韓国が日韓秘密軍事情報保護協定(以下「GSOMIA」)の更新を行わない旨を発表しました。韓国がGSOMIA破棄に向かった理由については、日本がその安全保障貿易管理制度において韓国をグループA(ホワイト国のリスト)から外したことに対抗する措置であると説明されています。しかし、協定成立までの経緯を振り返ると実際には別の理由があるように見えます。
もともと韓国国内にはGSOMIAに対して消極的ないし否定的な空気があった。韓国はむしろGSOMIA破棄のチャンスを伺っていたのではないか。
そこに今回の「ホワイト国外し」が起こったので、これを奇貨として念願の協定破棄を実現したに過ぎないフシがある。
一方、2012 – 2014年に以下で紹介するような論文が既に公開されていたことを考えると、日本側で非公開の分析はさらに行われていたはずです。だとすると日本側は韓国が協定破棄に出てくることを読んでいたのではないかという仮説。
なお、同盟関係は米韓間と日米間には存在する一方、日韓間にはそもそも存在しませんが、米議会、政府の資料を読むと “trilat”(Trilateral Informatin Sharing Agreement = TISA: 日米韓情報共有協定を指す場合と、広義に3者の連携を指す場合とがあるようです)という単語がしつこいくらいに出てきます。今回の件がこの関係に及ぼす影響が少なくないことは容易に想像できます。
このような状況にあってなおGSOMIA破棄のチャンスを伺っていたとすれば、あまり穏やかではないような…。
ご存知のように、そもそも、GSOMIAは2012年06月29日に締結・調印されるはずでしたが、締結・調印の1時間前に突然韓国側からドタキャンされたというちょっと信じられない経緯があります。ドタキャン当時の状況を整理・分析した菊池勇次氏(2012)[1]及び林隆司氏(2014) [2]の報告書が非常に示唆に富んでいますので、以下で概要を紹介したいと思います。。
オリジナルをかなり端折ったため要約が不正確になっている虞がありますので、ぜひ本紙(全23頁)をお読みになることをお勧めします。
『海幹校戦略研究』第4巻第2号(通巻第8号) (2014年12月)
林 隆司
「日韓軍事情報包括保護協定(日韓GSOMIA)締結延期の要因分析」
-署名1時間前の土壇場で政策変更された背景にあったもの-
[PDF 450 KB]
引用論文執筆者紹介(当時)
林 隆司(はやし たかし)1等海佐 海上幕僚監部防衛部運用支援課(執筆時 海上自衛隊幹部学校幹部高級課程)
明治学院大学(社会学部)卒。大韓民国海軍大学(指揮幕僚課程)、海上自衛隊幹部学校高級課程、統合幕僚学校統合高級課程。第 212 飛行隊長、統合幕僚監部計画課、海上幕僚監部広報室などを経て、現職。
署名延期までの経緯
2012年06月29日に予定されていたGSOMIAの締結・調印がドタキャンされた経緯については、菊池勇次氏のまとめ[1]に詳しいので、以下該当箇所をそのまま引用します。
同協定は2012年4月23日に仮署名が行われ、当初は5月末に金寛鎮(キム・グァンジン)国防相が訪日した際に署名が行われる予定だった。しかし、訪日がキャンセルされた後、日韓の追加協議が行われ、最終的に法制処の検討作業が終わったのは6月22日となった。
その結果、韓国側の国内手続を6月29日の署名に間に合わせるためには、次官会議(21日開催)での検討を経ることが不可能になり、韓国政府は26日、次官会議を経ずに同協定を閣議決定した上で、日本側の国内手続が完了するまで公表を控える措置をとった。しかし、通常とは異なる方法かつ非公表で同協定を閣議決定した事実が翌日に報道されると、韓国国内では「密室処理」ではないかとする批判が高まった。
特に最大野党の民主統合党は、①国会で説明を行った上で同協定を締結するという約束を破った。②竹島、慰安婦、教科書問題等による複雑な国民感情の問題が解決していない。③日米韓と中朝ロの軍事的緊張を高める結果を招くとの理由を挙げて反対し、協定締結を強行する場合は、無効とするための国民的闘争を展開すると主張した。
一方、当初は協定締結に賛成し、「つまらぬ反日感情を刺激するのは国益に役立たない」との論評を発出した与党のセヌリ党は、世論の圧倒的反対(調査機関のリアルメーターが7月2日に実施した世論調査では、賛成15.8%、反対47.9%)を前に態度を変え、署名当日の6月29日、協定の締結を保留するよう韓国政府に求めた。
こうした与野党及び世論の反対を受け、ついに韓国政府も「国会で説明を行った後に署名するのが妥当」と判断し、署名式直前に日本側に延期を要請した。
Source: 菊池 勇次(2012) [1]
[1] 菊池 勇次(2012) 外国の立法, 2012.8 国立国会図書館調査及び立法考査局 [PDF 410 KB]
[2] 林 隆司(2014) 海幹校戦略研究 第4巻第2号, 2014年12月, pp. 76 -98 [PDF 450 KB]
GSOMIA締結延期の要因
林氏は、協定締結延期の要因を①国際システムレベル、②国家レベル、③個人 レベルに分解して詳細に分析しました(Figure 1)。その結果として、日韓 GSOMIA 締結延期の主たる要因を以下のように結論づけています。
- 政府(与党) が、政権安定と次期大統領選挙を最優先し、日韓 GSOMIA を締結するという自ら決定した政策を貫き通さなかった。
- 土壇場にポピュリズム(大衆迎合)に傾いた。
つまり、国家安全保障に係る問題が、②国家レベルに属する、政局やポピュリズムに大きく影響された、と言うのが大局的な分析です。
2012年から7年を経て、国際状況も変化していますので、以下では①国際システムレベルの分析も加え、①と②に関する分析を紹介します。(2桁の[脚注番号]は出典中の番号そのまま)。
国際システムレベル
中国との関係を重視
- 米国と並び、朝鮮半島統一に大きな影響力を持つ中国は、韓国にとって最大の交易国であり、日韓 GSOMIA 締結による「日米韓」対「中朝」という構図の定着を避けるべきという、対中国配慮である。(pp. 80-81)
- 朝鮮日報は、米国の対北朝鮮、対中バランス戦略、北朝鮮の脅威を総合的に勘案しつつ「国の内外で無用な誤解や 対立を招くことがないよう、米国と意見交換し、戦略的な知恵を発揮する 必要がある」という論調であった[19]。(p. 81)
- 中国と2012 年度の韓中修交 20 周年を契機に「戦略的協力パートナー関係」の充実を掲げ、国防分野でも対話と交流を強化する努力をしている [34]。(p. 84)
- 韓国にとって中国は最大の輸出相手国として総輸出の約 1/4(25%)を占め、それは、米国(11%)と日本(8%)の合計よりも大きく[35]、経済における中国の存在から、外交における配慮もより慎重なものにならざるを得ない。(p. 84)
[19] 「【社説】韓日軍事協力、目標と限界を明確にせよ」『朝鮮日報』2011年1月5日。
[34] 대한민국 외교부『2013 년 외교백서』2013, p. 59.
[35] 外務省アジア大洋州日韓経済室「韓国経済と日韓経済関係」2013 年 7 月、2頁、
www.mofa.go.jp/mofaj/area/page22_000039.html、2014 年 2 月 6 日アクセス。
国家レベル
ポピュリズムへの偏重
- 日韓間で初の軍事協定を締結することに対し、韓国国内での反発は少な からず予測されており、その理由の一つ目として考えられるのが、過去に日本は朝鮮半島を併合し、また今なお竹島(韓国名:独島)の領有権を主張していることから、軍事分野で日本と協力することに対する疑問、いわ ゆる「反日感情」である。(p. 80)
- 左派系メディア、ハンギョレの社説では、①日本との軍事的な協定締結であるにもかかわらず、変則的な手続き(GGSC注:手続き非公開で進めようとしたこと等を指す)を行った。②北朝鮮に対する情報は、日本より韓国の方が多い。③歴史的に日本が信用できない。④中国との軍事的軋轢や摩擦を被る、などを論評している[52]が、野党の厳しい批判の核心にあったものは、半年後に控えた 2012 年大統領選挙を見据えての与党批判という側面が強い。(p. 87)
- 署名が延期された直後の世論調査ではあるが、協定締結について「賛成」15.8%に対し、「反対」が 47.9%という調査結果が得られている[55]。その具体的理由についての詳細は得られていないが、大方の報道分析から読み取れるものは反日感情である。(p.88)
- 金泰孝企画官は、日韓 GSOMIA 締結延期事案の後、過去の論文が「自衛隊の軍事力で北朝鮮を抑止」するという内容のものとして、野党から激しい攻勢を受けた。朴用鎮民主統合党報道官は「日本の軍事力で北を抑制しようという彼の主張は、植民支配を受けた私たちが日本の軍国主義再武装の道を率先して開くのと変わらない」と述べている[78]。(p. 93)
[52] 「【社説】韓日軍事情報協定を廃棄して責任糾明を」『ハンギョレ』2012 年 6 月30 日。
[55] 「韓国の民間世論調査機関「リアルメーター」調査結果」『時事通信』2012年7月3日
[78] 「「自衛隊で北を抑止」論文で物議 青瓦台企画官が辞意表明」『中央日報』2012 年 7 月 5 日。
Figure 1: 日韓軍事情報包括保護協定(日韓GSOMIA)締結延期の要因分析略図
Source: 林 隆司(2014) [1], p.98
GSOMIA破棄の要因
以上の林氏の分析を見ると、韓国はそもそもGSOMIAに積極的な態度を示していなかったことがわかります。
他方、協定締結に向けた積極要素としては、韓国と①北朝鮮との軍事的対立、②米韓同盟/日米同盟との関係があり、これらがGSOMIA締結を後押ししたはずです。
しかし2012年当時と比較して①北朝鮮との軍事的対立に係る状況には変化が見られるようであり、加えて③対中国関係を始めとする取り巻く環境の変化は盛んに報道されているとおりです。
そうしてみると、GSOMIA破棄の理由を◯◯問題や△△問題、まして□□問題にに帰着させるというのは、ちょっと苦しいんじゃないかなぁという気がしませんか?