憲法36条
第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
事件名 尊属殺、殺人、死体遺棄
昭和23年03月12日 最高裁大法定判決
裁判要旨
一 死刑そのものは憲法第三六條にいわゆる「殘虐な刑罰」ではなく、したがつて刑法死刑の規定は憲法違反ではない。補充意見がある。
二 原審辯護人が原審公判において、被告人に精神病の懸念があることを主張したに過ぎないときは、刑事訴訟法第三六〇條第二項に規定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその點について判断を示さなかつたからとて判断を遺脱したものとはならない。。
参照法条
及び憲法13条、憲法31条、刑法9条、刑法11条、刑訴法360条2項(旧法)
上告趣意第一点に対する補充意見
- 弁護人西村真人上告趣意第一点
- 原判決は法令の解釈を誤りて適用した違法な判決である即ち原判決は被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最も残虐な刑罰であるから新憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決は被告人に対し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百条に於ける死刑の規定を適用して被告人に死刑を言渡したのであるから法令の解釈を誤りて適用した違法な判決として当然破毀を免れざるものと信ず。
- 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見
- 憲法は残虐な刑罰を絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰であるとすれば、憲法は他の規定で死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科しうることが窺われるので、憲法は死刑をただちに残虐な刑罰として禁じたものとはいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によつて定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがつて、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。されば死刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決の違法を主張する弁護人の論旨は採用することができない。
- 裁判官井上登の意見
- 本件判決の理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。
- 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもちがつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまうものたから、これ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な場合に特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではないか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではないので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑(現代文明諸国で通常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居るかどうかと云うことである(我々の問題は死刑を規定して居る刑法の条文が憲法第三十六条に違反するものとして無効な法律であるかどうかと云うことであり、つまり同条は絶対に死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題だからである)そしてこれは純然たる法律解釈の問題だから何と云つても法文上の根拠と云うものが重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法第十三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定して居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法は公共の福祉の為めには法律の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るものと見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対に死刑を許さないと云う趣旨ではないと解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈は字義から云つても相当だと思う)反対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三十一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十六条が絶対に死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘はらず絶対に刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈である、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て来るのは当然であり憲法の文句としてこんなまずいことはないからである、他に第三十六条が絶対に死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。
- 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思われぬことその他実質的の理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て私も決して人後に落ちるとは思はない、しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実状だから。
参考
百選 120事件「死刑と残虐な刑罰」
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