The New Head of the U.S. Pacific Command Talks to TIME
Admiral Harry B. Harris Jr. will be the U.S. Navy's highest-ranking Asian American ever when he takes over U.S. Pacific Command on May 27
TIME誌インタビュー抜粋
ご存知のとおり、ハリー・ハリス駐韓国米国大使は2015年05月から2018年05月まで米太平洋軍(USPACOM)司令官を務めていました。
当時、司令官着任(2015年05月27日)を報じるKirk Spritzer 記者のThe New Head of the U.S. Pacific Command Talks to TIME About the Pivot to Asia and His Asian Roots(2015年05月25日)のインタビューにGIRI(義理)という日本語が出てきたのが印象的でした。
以下、抜粋してご紹介。
(Google翻訳による全訳は下の”Reference”にリンクがあります)。
Q:人生において最も重要な出来事は、生まれる前の第二次世界大戦だったと言うお話でしたが、どのように重要だったのでしょうか?
- 父は四人兄弟で、全員が主に海軍で第二次世界大戦に従軍した。
- 父は真珠湾攻撃のほんの数日前に空母レキシントン(Lexington)に乗り組んでいた。
- 乗組員は無事だったが、レキシントンは珊瑚海海戦で撃沈された。
- 私が育ったテネシーにはその兄弟全員が住んでおり、皆いつも戦争中の海軍の話をしてくれた。そのため私自身も軍に入るものと思って育った。
Q:お母様が人生に重要な影響を与えたのですね。お母様は神戸の裕福な家庭に生まれたけれども、アメリカの小さな農家で一生を終えた。どのような経緯でそうなったのでしょうか。また、お母様の影響とはどのようなものでしたか?
- 母からは多くのことを学んだ。
- 空襲のため、母は家も学校も家族も友人も失った。
- 生き残りはしたもののすべてを失った母は、おばを頼って横浜に移り住んだ。おばは母のために横須賀の海軍基地に仕事を見つけてくれた。
- 父は1946年から退役する1958年まで日本と韓国に配属されており、母とは1950年代の始めに出会って結婚した。そして私を含めた一家はテネシーに移り住んだ。
- 父はテネシーで自給自足の農場を手に入れたが、水も電気もないありさまで生活は非常にきびしかった。しかし母はそれに耐えた。
- 母は1970年代半ばにアメリカに帰化した。母は、「自分が誇りを感じるのは、投票するときと、陪審員の義務を果たしたときだ」と事あるごとに話してくれた。
- 母は、私がアメリカ人として生きることに望んでおり、私に日本語を教えてくれなかった。
- しかし母は、私が日本人としてのルーツと米南部のルーツというふたつのルールの両方に誇りに持つように教育してくれた。
- 母が私に教えてくれたのは、日本のGIRI(義理)という概念だ。GIRIというのは義務(duty)という意味である。
- それからは私は常に、この瞬間も、GIRIを大切にしている。
Q:アジア系アメリカ人としては初めて米海軍最高位である大将となり、同じく初の太平洋軍司令官となったわけですが、若い時にロールモデル(お手本、この人のようになりたいと思った人物)とした人はいますか?
- 母は、第二次世界大戦中の Nisei (日系二世)の米軍兵士の話をしてくれた。その行為が報いられる保証などなかったにもかかわらず、彼らは米国のために日本と戦った。
- 我々の今があるのも、正しいことのために戦った彼らの存在があればこそである。
- 私は、これは本気で言うのだが、私は彼らの功績の上に存在している(I stand on the shoulders of giants)。
以下の質問項目は省きました。全文はGoogle翻訳でどうぞ。
Q:2013年に太平洋艦隊司令官に任命されるまでは、ヒラリー・クリントン国務長官、そしてジョン・ケリー国務長官と2人の国務長官の下で軍事代表(military representative)を務めました。このとき何を学ばれましたか?
Q:太平洋艦隊司令官への任命、そして今回の太平洋軍司令官への就任は日本から大いに歓迎されました。一方、いまだに日本に懐疑的な中国が同じように就任を歓迎することはないと考えられます。日本と中国の両国からの期待に応えるのはなかなか困難なのではありませんか?
Q:オバマ政権は、アジア太平洋地域における経済、外交、軍事の「リバランス」に言及しました。これが現実的な話をしているのかそれともレトリックに過ぎないのか、少々疑問ですが如何でしょうか?
Q:新しい任務においては、巨大で多様な地域、おっしゃる通り「ボリウッドからハリウッド、ホッキョクグマからペンギン」にまで責任を負う立場になります。その中で最も優先される課題は何でしょうか?
Q:東シナ海における人工島の造成 – 「万里の砂城」(great wall of sand)と表現されましたが – など、最近の中国の動きについて司令官は深い憂慮を表明されています。これら中国の行動が米国にとっての憂慮事項となるのはなぜですか?
Q:最も心配していること – 夜眠れぬほどに – は何ですか?
経歴
Ambassador Harry Binkly Jarris, Jr
ハリー・ビンクリー・ハリス・ジュニア
出生地:日本(1956年08月04日生まれ)
生育地:テネシー州及びフロリダ州
現 職:2018年05月23日にトランプ大統領が駐大韓民国米国大使として指名、同06月28日に米上院の承認を得て、大使着任。
- 1978年 海軍士官学校(Naval Academy)卒業
- 修士
- ハーバード大学ケネディ学院(Harvard’s Kennedy School of Government)
- ジョージタウン外交学校(Georgetown’s School of Foreign Service)
- ポスドク
- オックスフォード(Oxford University)
- MIT セミナー21フェローシップ(MIT’s Seminar 21 fellowship)
- 1979年 海軍飛行士(NFO: Naval Flight Officer)
- 主な任務
- パトロール中隊-44(Patrol Squadron(VP) 44)
- パトロール中隊-4 作戦士官(Operations officer in VP-4)
- 米国第5艦隊作戦指揮官(Director of operations for U.S. 5th Fleet)
- 米国南部司令部作戦指揮官(Director of operations for U.S. Southern Command)
- パトロール中隊-46 司令官(VP-46)
- 2013年 米国海軍大将(Admiral. O10)
- 米海軍太平洋艦隊(U.S. Pacific Fleet)司令官
- 2015年05月27日
- 米太平洋軍(U.S. Pacific Command: USPACOM)司令官(第24代)
- 主要な作戦
- SS Achille Lauroテロリストハイジャック対応(S.S. Achille Lauro terrorist hijacking response)
- ドキュメントIII(Attain Document III)
- アーネスト・ウィル(Earnest Will [PDF 21 MB])
- 砂漠の盾/砂漠の嵐(Desert Shield/Desert Storm)
- サザン・ウォッチ(Southern Watch)
- 不朽の自由(Enduring Freedom)
- イラクの自由(Iraqi Freedom)
- ウィリングスピリット(Willing Spirit)
- オデッセイ・ドーン(Odyssey Dawn)
- 無慈悲なハンバーダー🍔(Operation “Ruthless Hamberder”)
- スタッフ任務
- 飛行時間:4,400時間(うち作戦時間 400時間)
- 海上哨戒機及び偵察機
- 叙勲歴
- Defense Distinguished Service Medal(2回)
- Navy Distinguished Service Medal (3回)
- Defense Superior Service Medal(3回)
- Legions of Merit
- Bronze Star(2回)
- Air Medal (one strike/flight)
- State Department’s Distinguished Honor Award
- 外国政府からの叙勲歴
- フランス、韓国、日本、モンゴル、フィリピン及びシンガポール
- 受賞等
- CIA’s Agency Seal Medal
- Navy League’s Stephen Decatur Award
- Ellis Island Medal of Honor
- Asian Pacific American Institute for Congressional Studies Lifetime Achievement Award
- Who’s Who in Asian American Communities Alliance Foundation Community Spirit Award
- Asian American Government Executives Network Distinguished Lifetime Achievement Award
- “Gray Owl”
- “Old Goat”
家族
- 父も米海軍軍人で、第二次世界大戦及び朝鮮戦争に従軍し、1958年退役。退役後は韓国及び日本に居を構えた。
- 母は日本人。1958年に一家はテネシー州に移住。1974年に米国に帰化。
- 配偶者、Ms. Bruni Bradleyも海軍士官。